【京の名品】織を楽しむこころ “職楽浅野”の帯
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それは 着物を着る機会をコロナ禍で奪われている(←と正直思っている)2020年の秋のことです。
1年を締めくくるイベントを考えていたら
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アッコさん !
『職楽浅野さんの作品展ってどうですか?』
というお声かけが・・・笑
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『職楽さんって・・・
なんかかっこよすぎる感じするけど・・・』
とか言いながら、しばらく考えていたら重大なことに気がついた。。
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着物を着るようになって
17年間で一番活躍している帯は職楽浅野さんの
名古屋帯かもしれない・・・
((((;゚Д゚)))))))‼︎
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その年の 秋の手描き友禅の会でも・・・
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・・・というわけで 開催決定!
振袖前撮り撮影会終了後、
直接お話を伺いたく京都にとぶのであります。。
もくじ
帯のふるさと 職楽浅野さんを訪ねて
問屋さんの敏腕営業マンMr.Xに連れられ
帯のふるさとを訪ねる。
職楽浅野さんは京都市内でも北側。
案内されながら山あいの石段を登っていくと・・・
重みのある玄関
大変お忙しいところ浅野裕尚社長、奥さま、息子さんの裕樹さんが時間を作って待っていてくださいました(…恐縮です)
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もともとお祖父様が創業されて、
お父様、裕尚さんとバトンを受け継ぎ96年目。
『織を楽しむこころ』というのが原点だとお話してくださいました。
浅野さんのお話で印象的だったのは
「自分はね、仕事だからというわけじゃなくて
『自分が作りたい!』って思えるものを作りたいと思っているんです。」
「最初にね、白い帯を織った時なんて、
『白なんて着物すがたがボケて締められない〜』って言われたんですよ。
良さがなかなか伝わらなかった。笑」
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白い帯がボケるなんて・・・
えー!そうなんですか? その反応は意外ですよね。笑
浅野さんの帯は白こそ美しさが映えるというか、
透きとおったオーラがあって 心底美しいと思いました。
わたしは樋口可南子さんの着物すがたに憧れて着物を着たいと思ったのですが、古典でありつつもすっきり洗練された浅野さんの帯をはじめて拝見したときの感動は、いまもはっきりと覚えています。
違和感は全くなく、むしろ
『そうそう!欲しい帯ってこういうの!』って・・』笑
浅野さんは着物を通じて日本的な美しさを発信したいのだと感じます。
単に衣服としての着物ではなく、
そこには『美しさ』という付加価値というか豊かさがないとおもしろみがないのではないか・・・というような感覚を覚えました。
いただいた資料より抜粋
いままであったもの
いままで なかったもの
『自分』というフィルターを通すとどのような表現ができるのか???
『自分にとっての美しいもの』を帯という世界で表現がしたい。
それを常に考えておられる気がします。
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『自分というフィルターを通すとどのような表現ができるのか?』というのは、とても共感できるテーマでした。
わたしも常に同じことを考えています。
自分というフィルターを通して着物をどう表現したいんだろう???
自分というフィルターを通して見たお客さまの素敵なところ、魅力を 着物や帯、小物をどうスタイリングすると表現できるのかな???…って。
お伺いしたときに目に入ってくるのは書籍の多さ。
画集、写真集などはもちろん、西洋音楽大辞典なども大きな本棚にずらーっと並び圧倒されました。
たくさんの資料に目をとおされながら、
新しいものづくりへのインスピレーションを得ておられることが伝わってきます。
職楽浅野さんに聞く
作り手のこだわり
ここでは浅野さんが普段から帯づくりでこだわっておられることをご紹介します。
『織る』ことで“奥行き感”を表現する
まずひとつめは『織る』ことで“奥行き感”を表現する、
ということです。
一般的にはどうしても色使いやデザインに目がいくのですが
『織ること』でしか表現できない生地そのものの“奥行き感”
その表情こそが大切!
と日々、織りの組織の研究を積み重ねておられます。
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“奥行き感”
わたしも個人的にキーワードです。笑
わたしの場合は着物のスタイリングの際に
“奥行き感=その人の内面”が感じられるようなあわせ方を大切に考えています。
浅野さんの帯についつい手が伸びてしまう理由は 何にあわせても「本当によくあう」。自分の「こう着たいな」というイメージが作れるな、と感じます。
私は、着物は「直線仕立てであり 直線で作られた“面”を意識する」衣服だと感じているのですが、着物を着るときには「のっぺり」見えないこと。常に“奥行き感”を常に意識しているからだと思います。
なにも足さない、なにもひかない、本質の美
“紋紙”を繰り返し使う紋織物は過去の模様表現を繰り返し使うのが通例です。
しかし、浅野さんは
過去の表現や手法を「そういうもの」と捉えるのではなく
「時代に求められる美しさ」を表現するために「洗練させる」ことが大切。
それがいまこの時代を生きる自分が担う責任。
だとおっしゃいます。
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これは着物のものづくりや販売に携わる人が
最も自覚すべきことだと感じます。
文化や伝統にあぐらをかくことなく
常に時代に求められること
一方で
時代に流されないところ
それを見極めることが肝要。
そうでなければ着物は人の心に響く美しさを失ってしまう・・・
ただそれは、
本質を捉えていなければできないことだとも感じます。
浅野さんご自身の言葉をご紹介したいと思います。
いかに余分なものを取り除き
そのものの持つ素材感を大切に
今までの生地の上に盛り沢山に
飾られた過飾の織物ではなく
シンプルでもない
そこには
もうなにも足さない
なにも引かないという本質があり
いつまでも持っていたいと
時を超える美しさをもとめました
「なにも足さない
なにも引かないという本質」
その本質こそが「軸」であり
その軸を時代に求められる表現で過不足なく構成できることが
まさに「洗練」なのだと感じました。
もの と もの との“間(あわい)”を大切に
織りの表現は “余白”が大切。
「余白をどう埋めるかが大切。
積み重ねたものがないと埋まらない。
ただの無地場になってしまう」
と浅野さんはおっしゃっていました。
職楽さんの帯は無地場があっても
そこには“なにもない”のではない。
柄を生かすための余白があえて存在しているとわたしは理解しています。
もの と もの の間(あわい)が生み出す綾こそが日本の美。
それは、
お茶室のもつ空気感や光がイメージに近いのだそうです。
「お茶室は非常に簡素だけど、
『なにもない』のではなく塊のような存在感がある」
確かにお客様を迎える準備が整ったお茶室の空気とは
清々しさとともにピーンと張った緊張感があるように感じます。
そのイメージですね。
模様と余白、このふたつを追求することにより“職楽浅野らしさ”が織りなされるのだと感じました。
いかがでしたか?
今回は
浅野裕尚社長とのお話を中心に礎となる考えをお送りしました。
職楽浅野さんの帯はまた次の記事でお送りしたいと思います^^