久米島紬 その美しさは自然からの贈り物

日本全国に紬を織っている産地があるのですが
この記事では久米島紬を特集してお届けしたいと思います。

この記事は

  • きものに興味のある方
  • イベントの前に久米島紬をちょっと知りたい
  • イベントに行きたいけど行けなさそう。。泣

という方のために書いています。

久米島紬とは?

久米島紬はくめじまつむぎと読みます。

沖縄県久米島町でに伝承されている絹織物をいいます。
久米島(くめじま)は、沖縄本島から西に約100km、最も西に位置する島です。

 

久米島紬は原材料と染色に大きな特色があり、
すべて天然の材料が使用されており、かつ、そのほとんどが島内産です。

養蚕及び桑の栽培は一時中断していましたが、
近年再び行われ、技術の伝承が図られるようになりました。

久米島紬事業協同組合ホームページ

 

きれいな海に囲まれて自然豊かな久米島。
そんな久米島でに自生している植物や泥を使って染められる色って
きれいな色なんでしょうね!

しかも、蚕を育てて糸をつくる養蚕(ようさん)も島内でおこなっているなんて!
自然のリズムに沿って暮らしている光景が見えてきます。

久米島紬はなんだか着るだけでも身体に良さそうです^^

柄は 絣(かすり)といって 経(たて)と 緯(よこ)糸の交わりによって表現します。

久米島紬


久米島紬事業協同組合ホームページより

現在は国の重要無形文化財に指定されています。

久米島紬は、
芸術価値が高く、工芸でも重要なポジションにあり
地方的特色が顕著な染色物でもあるため、
平成16年9月 重要無形文化財に指定されました。

久米島には「ユイマール館」という施設があり
久米島紬の技術を後世に伝え保存していこうと島全体が一丸となって後継者育成に力を注いでいます。

 

注目すべきはその色彩

久米島紬の良さは伝統的に一貫した手作業によって生み出されることが魅力だと思います。

若女将アッコ

その中でも最大の魅力は色の美しさ!
 
久米島に自生している植物などを染料にしているのですが、
こんなに鮮やかに染まるのか!!と思います。

草木を染料にするというのは
いわゆる草木染めです。

草木染めというのは・・・

草木染めとは・・・
木の幹や皮、葉、根などを煎じたり、煮出したりして糸を染める液を作り

染液に糸を浸す

媒染といって染まった色素を金属イオンと結合させて発色させて染料を糸に定着させる

というのが大まかな流れです。

 

久米島紬の染料としてよく使われる植物

①さとうきび



②ユウナ

 

③月桃

 

 

④チュラフクギ

 

例)ユウナで染める工程

 

ユウナで染めた久米島紬(右側 銀鼠)

 

ユウナ染めは、ユウナ(オオハマボウ)の幹を約15センチ~20センチに輪切りにし、焼いて木炭化させます。

その木炭をさらに石臼で粉末化した後水に溶かし豆汁を入れ、目の細かい布でろ過し染液とします。
粒子が細かければ細かいほど染着力がよくなり水洗いがらくに行えます。

染め方は、常温液の中で絶えず糸を繰りまんべんなく染液を浸透させ、むらがでないように心がけ染色します。
次に水洗い、乾燥を繰り返し1日5回行いこの工程を8日程度繰り返し、最後にミョウバンで媒染を行い
銀鼠の灰色を得ます。

久米島紬事業協同組合ホームページ

久米島紬事業協同組合ホームページ

 

ユウナで染めた久米島紬は、自分の目でみると写真でみるよりシルバーっぽい
色に見えました。

草木染めで染められた色の特徴

これは私個人的な意見ですが・・・


草木染めで染めた糸で織り上げられた布は
ただ均一できれいというより 微妙なゆらぎがあります。
また、色に深みというか奥行きを感じます。

若女将アッコ

色彩が表にどんどん湧いてくるような感じがします

左からさとうきび、月桃、ゆうな
フクギ
コチニール

糸の状態だとこんな感じです。

  

草木染めのメリット、デメリット

草木染めは化学染料と比べたときにデメリットとされることがいくつかあるのですが、
実はこれ、大いにメリットでもあるな〜と思います。



【品質が一定しない】
天然染料は色素の含有量が一定せず、また単一の色素のみを持つことも少ないので、
同じ色を出すのはほぼ不可能と言われる。
→ふたつと同じ色に染められないことはオンリーワンの存在

 

【濃く染めにくい】
天然染料は色素を持っていても、合成染料のように多量に含んでいるわけではないので、
濃い色に染めるのは非常に手間がかかる。
→糸を濃く染めるためになんども染料にひたすというのは色彩の表現に厚みがある

若女将アッコ

メリットとして考えると
ふたつと同じ色に染められないことはオンリーワンの存在であること。
染めるのに手間がかかることは色彩の表現に厚みがあるということです。

ただし、光に対して弱い、退色しやすいことはデメリットだと思います。
扱いや保管に気をつけたいところです。

久米島紬のふるさと 久米島とは・・・

久米島紬のふるさとである久米島。
久米島は、沖縄本島那覇市の西方約100Kmの東シナ海にあります。
飛行機で那覇空港から久米島空港まで一日7便。所要時間は30分。

島全体が県立自然公園に指定されています。

島は飛行機からみると珊瑚礁で白く縁取られて
青い海とのコントラストがとても美しいです。

主要な産物であるさとうきびの緑色の畑がなだらかに広がり
南国特有の太陽のひかりが強く降り注ぐ島。



貿易が盛んだった琉球王朝時代、
琉球列島の中でもっとも美しい島であることから
久米島は「球美の島」とも呼ばれてきました。

 

ちょっとカンタンに・・・
久米島紬の歴史

琉球王朝時代は、中国はもちろん、東南アジアや朝鮮、日本と盛んに貿易や往来を行っていた時代。
久米島は、地理的な条件から交易の重要な中継地点だったそうです。そのため様々な文化の影響を受けています。

若女将アッコ

日本最古の絣織物(かすりおりもの)は久米島紬だと聞いたことがあります。

インドが発端とする絣で文様を織る技法はまず久米島に伝わり、
この久米島から日本全国に伝わって広まっていったと言われています。


ということは・・・
久米島紬がなければ、私たちがいま見ている日本の紬織物のほとんどは
存在していなかったかも⁉︎しれませんね。

15世紀半ばに堂之比屋(どうのひや)という人が明国(いまの中国)に渡り
養蚕技法を学び、久米島に持ち込んだことが久米島紬のはじまりです。

その後、琉球王府による命で養蚕(お蚕さんを育てる)・製糸(お蚕さんから糸を取る)
が盛んになります。

そして、1630年ごろ琉球王府に招かれた薩摩人 酒匂四郎右衛門により
黄八丈(八丈島でおられる紬)の技法を取り入れて、久米島紬を改良していきます。

もともと久米島紬は島の人の日常着としておられていました。
素朴な織物だったと思うのです。

そこに琉球王府がなんども技術改良を命じるのは
琉球王府への年貢(税)はもちろんのこと、
当時の琉球を支配していた薩摩藩への年貢のためだと言われています。



当時久米島では、年貢米の70パーセントにあたる税を
貢納布といって久米島紬で代納していました。


しかも!琉球王府の絵師がデザインを描きまとめた
「御絵図帳(みえずちょう)」とよばれる見本帳にしたがって織るよう
厳しい指導、統制があったそうです。

若女将アッコ

当時15歳から40歳ぐらいの島の女性は半年程度
貢布小屋にこもって役人監視のもと紬を織っていたそうです。

規格に合わない織り方だと「このヘタクソ!」と鞭を打たれながら
この苦行に従事していたという話があると聞きました。

自分で望んで従事しているわけではなく、
鞭に打たれる恐怖を感じながらの機仕事って・・・気の毒すぎる(涙)

写真は琉球王府の時代、久米島を統治していた上江洲家に伝わる久米島紬の裂地です。
200年ほど前の裂地ですが、紅、黄、藍、灰、緑でかなり細やかな文様が表現されています。




女性たちが貢納布として収めていた紬もこんな感じだったのでではないか?
と想像できますね。

このような歴史を経て久米島紬は精巧で洗練された織物になっていきました。
この貢納布制、明治の中頃まで続いていました。

いま私たちが久米島紬を見て色彩や文様が美しいと感動するのは
このような歴史の荒波に揉まれて苦労しながら必死に糸を染めたり、布を織ったりしていた
女性たちのおかげともいえます。 

 


いかがでしたか?

絣織物の祖といわれる久米島紬をテーマにお送りしました。
写真ではなかなか そのものの美しさや存在感をお届けできないのが残念です。

ご興味のある方は
ぜひご自分の目で見て美しさを感じていただきたいと思います。

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若女将アッコ

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